京表具の歴史 第一部 ~京都表具協同組合の歴史~
竹内栖鳳らの出現によって京都画壇が活気づいていた明治四十二年、京都の表具師たちが横のつながりを持ち、「京都表具業組合」が結成されました。
その後、「京都表具工業組合」と名称を変え、第二次世界大戦中まで組織は存続していましたが、戦後、自然解散となりました。
その一部のメンバーは「京都表装文化協会(現・協同組合京都表装協会)」を設立していましたが、第二次世界大戦後の混乱期から抜け出し、ようやく日本の経済が復興しつつあった昭和三十年、材料商であった小嶋章作の呼びかけに応じ、これに参加しなかった他の表具師たちも合流して、「京都襖表具組合」が発足することとなりました。
しかし、任意団体であった「京都襖表具組合」も瞬く間に組合員が増加し、また、日本国内で健康保険制度が整備されてきたこともあり、協同組合への組織変更を望む気運が高まってきました。こうした気運を受け、「京都襖表具組合」は発展解散し、昭和三十四年、「京都表具協同組合」として生まれ変わるべく、設立総会が開催される運びとなったのです。
その後、組合活動も安定期に入り、かねてからの宿願であった刷毛塚の建立が実現しました。表具師の命とも言える「仕事道具」=刷毛を供養することは、表具の伝統の中で欠かせない行事であり、昭和三十二年以降、南禅寺塔頭の慈氏院達磨堂に於いて「刷毛供養会」も行われてきましたが、昭和四十四年、他府県の連合会の援助もあり、ようやく南禅寺境内にその象徴とも言うべき刷毛塚が完成を見たのです。
以降、「京都表具協同組合」は、他地域の組合との交流、さらには海外との交流も活発化し、平成七年には労働大臣賞を受賞するなど、プロフェッショナルな表具師の組合として、その実績を広く認知されるに至りました。また近年は壁装、内装の分野でシックハウス対策に取り組むなど、新しいニーズも取り入れつつ、伝統の技法を受け継ぎ、さらに磨き上げるため、伝統工芸士等の資格認定にも積極的に取り組んでいます。